山田邦子がTVを干された理由は不倫による略奪婚だった⁉現在の夫(旦那)と子供を調査!

山田邦子 不倫

2022年12月11日(日)、山田邦子(やまだくにこ)さんが、同月18日にテレビ朝日系で生放送される、年間最大のお笑い賞レース「M-1グランプリ2022」の審査員に抜擢されたことで話題になっています。

山田邦子さんといえば、80年〜90年代にかけて、「おれたちひょうきん族」や「やまだかつてないTV」等、見ない日はないくらい、毎日テレビに出ていた有名なお笑いタレントさんです。

しかし、ある時からめっきりテレビ出演は減り、今回の審査員抜擢にされたことに関しては、「適任!」という声もありましたが、「山田邦子って誰?」という声も多くありました。

今回は

・山田邦子さんって誰?
・山田邦子さんがTVを干された理由は?
・現在の夫(旦那)・子供は?

など、気になる疑問についてまとめました。

目次

山田邦子がTVを干された理由は不倫による略奪婚だった⁉

山田邦子 後藤史郎

山田邦子さんは2000年(歳のとき)に、9歳年上の後藤史郎さんという男性と結婚しました。

後藤史郎さんはテレビ番組制作会社の社長さんなんですが、この時山田邦子さんは初婚、後藤史郎さんは再婚。

交際期間は5年ということだったんですが、その5年間は後藤さんに妻子のいる状態から始まったものでした。

多くのテレビ番組に出演し、超売れっ子芸人だった山田邦子さんですが、後藤史郎さんとの不倫と、その不倫を取材するリポーターなどに暴言を吐いたことで、好感度が急落。

恋愛スキャンダルに加え、その相手が不倫関係であったことで、芸能リポーターから執拗に追い回されることになった山田邦子さん。

芸能リポーターの井上公造からの質問に対して、山田さんが「お前もてないだろう」「バカじゃないの」と罵倒するシーンがワイドショーで放送されたこともあったそうです。

矢口真里やベッキー、東出昌大など、近年でも不倫によって活躍の場を追われ、急激にメディアへの露出を減らすパターンは少なくありません。

山田邦子さんも不倫によってTV業界から干された芸能人の1人だったようです。

山田邦子のプロフィールと経歴

山田邦子さんは1960年6月13日生まれ、現在62歳です。(2022年12月時点)

芸能界入りのきっかけは、お笑い番組「TVジョッキー」(1971〜1982年日本テレビ)で西城秀樹さんのモノマネをしたことでした。

1980年〜1982年放送していた人気番組「笑ってる場合ですよ!」の素人勝ち抜きコーナーに1980年に参加。

そこでチャンピオンに輝いたことで、「太田プロダクション」に所属することになります。

1981年には、当時の持ちネタ「邦子のぶりっ子(バスガイド編)」でレコードデビューもしています。

のぇ

ちなみにこの「ぶりっ子」という言葉は、山田邦子さんが最初に言った後、一般的に流行語として使われるようになったらしい!

山田邦子さんは1981年、ドラマ『野々村病院物語Ⅱ』(TBS)で、女優としてもデビューしました。

1980年代前半を中心に女優としての仕事もこなしていましたが、やがて、お笑いタレントへ比重を移し、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)に出演。

「ひょうきんベストテン」では、主に薬師丸ひろ子さんや欧陽菲菲、島倉千代子、松任谷由実、鈴木聖美などを演じ、担当コーナーである「ひょうきん絵描き歌」は、大ヒット企画になりました。

80年〜90年代にかけて、「おれたちひょうきん族」や「やまだかつてないTV」など、自身の名前のついた冠番組を持つほど人気になった山田邦子さん。

見ない日はないくらい、毎日テレビに出ていました。

全盛期にはテレビ番組のレギュラーを週14本抱え、民放の各キー局に山田専用の「仮眠室」があったとも語っています。

1988年から1995年まで、NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位となり、好感度タレントの代名詞ともなりました。

ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は「山田邦子さん以外いない」という声もあり、芸能界では「女性で唯一天下を取ったお笑いタレント」と評する方も居るほど。

不倫報道のあった1995年から徐々に、そして2000年の結婚以降もメディアへの露出が減っていった山田邦子さんでしたが、時間ができたことで自身を見つめ直す機会になったそうです。

そこから念願だった舞台の仕事や、習い事に精を出すことになります。

2019年には長らく所属していた太田プロダクションとのマネージメント契約を終了し、フリーランスの期間を経て、

2020年1月20日、スポーツ選手のマネジメントを専門とするアスリート・マーケティングに所属したことを発表しました。

2019年5月以降、デビュー当時に親交のあった桂竹丸の誘いを受け、落語芸術協会の寄席に色物(漫談)として出演するようになった山田邦子さん。

漫談師としても活躍するようになり、2020年8月にはデビュー40年目にして初めて浅草演芸ホールの高座に上がりました。

乳がんの発覚

ピンクリボン運動

山田邦子さんは、2007年3月8日収録、4月3日放映の『たけしの本当は怖い家庭の医学』にゲスト出演し、番組内自己検診で胸に違和感を覚えたということがありました。

その後、医師の診断を受け、左右の胸に乳がんがあることが判明。

左に1つ、右に2つあり、発見の8年前くらいにできたものと診断されたそうです。

幸い、いずれも小指の先ほどの大きさ(ステージⅠ)だったため、深刻な状況には至らず、4月と5月にかけて2回手術を受け、腫瘍を摘出。

乳がんであることが報道もされた山田邦子さんですが、その報道が意図したものでは無く、周囲へ話すかどうか悩んでいた時期だったので、とても困惑したそうです。

乳がんについて山田邦子さんはインタビューにこのように答えていました。

わたしはかつて病気のことを公表しないでいたのですが、意図せず報道されてしまいました。友だちや周囲の人へ話すタイミングに悩んでいたところだったので、当初とても困惑しました。報道されたことでいい事もありましたが、周囲の方の私への対応に気持ちがついていかず、人との付き合い方を改めて考え直すきっかけにも。

報道によって、乳がん発覚によって人との付き合い方を改めて考え直すキッカケになったそうです。

その後、乳房は温存し、術後も放射線治療などを受けることになりましたが、再発はなく、2012年に放射線治療は終了。不安を抱えながらも現在までの経過は良好とのことです。

そして、その時の乳がん治療の経験を生かして、山田邦子さんは、現在も、ピンクリボン運動などの、乳がんの早期治療・発見に向けた啓発活動に、精力的に参加しています。

現在の夫(旦那)と子供を調査!

山田邦子さんと2000年に結婚した夫(旦那)、後藤史郎さんは、テレビ番組制作会社「株式会社ゴッズダイナミックワールド」の代表を務めています。

同社は「金スマ」「さんまのスーパーからくりテレビ」「モーニングサテライト」「5時に夢中!」などの番組を制作しており、過去には「うたばん」「明石家さんちゃんねる」などを制作するなど、かなり有力な制作会社のようです。

山田邦子さんは、1995年に週刊誌で既婚男性との不倫を報じられましたが、その相手が後藤史郎さんだと言われており、2000年に結婚。

そこで不倫による略奪婚だったと当時も大きなニュースになったようです。

山田邦子と後藤史郎の子供は?

山田邦子さんと後藤史郎さんの間に子供はいるのかについてですが、「子供を授かった」という報道はありません。

結婚当時、山田邦子さんは40歳、後藤史郎さんは49歳、年齢的なものもあったのかもしれませんね。

山田邦子がTVを干された理由は不倫による略奪婚だった⁉現在の夫(旦那)と子供についてまとめ

多くの冠番組をもち、テレビに映らない日はないくらい人気絶頂のお笑い芸人だった山田邦子さん。

そんな山田邦子さんのメディアへの露出が急激に少なくなったのは、不倫による略奪婚だったと言われています。

またその当時の対応や暴言が火に油を注いでしまうような状況になってしまったようです。

しかしテレビの露出は激減しても、多くの番組の司会者を務めたトーク力や、女優としての演技力などは健在。

乳がんの発覚後も、多くの舞台にも出演し、漫談師としても活躍するなど、活躍の場を広げています。

ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は「山田邦子さん以外いない」という声もあり、芸能界では「女性で唯一天下を取ったお笑いタレント」と言われている山田邦子さん。

今回M-1グランプリの審査員を初めて務めるということもあり、注目が集まっています。

再度ブレイクすることはありえるのか?

今後の活躍に期待ですね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次